下田と坂本竜馬

今日は、私にとってもはじめて聞く話でございます。
幕末の超有名人〖坂本竜馬〗が下田に来て、土佐藩主山内容堂と接点があったとか?
文久3年山内容堂を乗せた船が嵐に遭い下田港に入港、時を同じく勝海舟・坂本竜馬を乗せた順動丸が入港した、山内容堂の宿舎「宝福寺」に海舟は呼び出され、話を進める内、海舟は坂本竜馬の脱藩の罪を許していただくよう懇願しました。すると容堂はお酒の飲めない海舟に杯を渡し「この酒を飲み干してみよ」と・・・海舟はためらいも無く杯を飲み干しました。この出来事により竜馬は、翌2月に正式に脱藩の許され、維新回天の活躍を致しました。
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坂本竜馬物語

本日、宝福寺の竹岡住職のお話を伺いました。

『光林寺』(港区南麻布4の1) 5月30日

日比谷線の広尾駅より徒歩5〜6分のところにある『光林寺』に来ました。
本堂を改装中でした。
光林寺

ハリスの右腕として、現場にかかせない人物だった『ヒュースケン』
アメリカ総領事ハリスの通訳兼書記官として使えたヒュースケンのお墓がここ『光林寺』にあります。
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下田の開国の歴史を語るうえでは、ペリー提督やハリス総領事、吉田松陰やお吉さんなどが真っ先にでる名前ですが、その陰に隠れて、ヒュースケン、金子重の輔、お福さんなど魅力的な人物がまだまだいます。

今日は、営業の途中、お墓参りにきました。
『ヒュースケン』さんです。
ヒュースケンのお墓

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1860年(12月5日)にヒュースケンさんは、28歳の若さで、浪士たちに襲われ亡くなります。
ヒュースケンの日米修好通商条約が調印に漕ぎ着けるまでに通訳兼秘書として果たした役割は大変大きなものとして知られています。

ハリスの陰に隠れてヒュースケンの活躍はあまり知られていませんが、むなしく佇むお墓を見ても気の毒におもいました。20070531092425.jpg


このお寺には、ヒュースケンが殺害された翌年、やはり暗殺された、イギリス総領事館の通詞の伝吉のお墓もありました。
伝吉の墓

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今日は幕末の事を考え墓参りでした。

生まれて初めて食べた『フルーツサンド』  4月26日

営業で南小岩に来ました。
南口に降りると、『サンロード』『昭和通り』『フラワーロード』と商店街があります。
今日の目的は、『フラワーロード』です。

商店街の中にある、旅行会社さんを訪問したあと、なにやら美味しそうなパン屋さんを見つけました。
店頭でガーリックトーストが売っていました。
一袋100円です。・・・・ビールのおつまみに合いそうです。
午前中から、買ってしまいました。
店内でまたまた美味しそうなパンが・・・・
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でも、買ったのは、なぜか、『フルーツサンド』です。
どう言うわけか、この年まで食べたことがありませんでした。
どんな味か興味半分で買いました。
もう気になって帰りの新幹線の中で、ヘルシア茶を飲み食べちゃいました。感想は・・・・ パンのあいだにイチゴが・・・
ケーキのようでケーキでない味のサンドイッチ?でした。

そうそう今日は久しぶりの晴天でした。
小岩北口のイトーヨーカドーの上空です。
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写真は、フラワーロードの入り口を小岩駅のホームからうつしたものです。

三島神社にも『松陰像』が・・・・・・ 4月1日

下田には、2つの『吉田松陰像』があります。
一つは、以前、ご案内した、弁天島の松陰像です。
ここは、松陰と弟子の金子重輔が、黒船に向かって伝馬船を漕ぎ出した場所です。
もう一つある、松陰像は、『三島神社』にあります。
三島神社

『三島神社』は、ホテルの向かえ側にある、『松陰の小径』を抜け、山側に入ったところにあります。
ホテルから歩いて7〜8分です。
途中は、地元の浜崎小学校の児童が書いた、ペリー・ハリス・プチャーチンなどのかわいい歴史案内板を見ながらの散歩ができます。
三島神社の松陰像は、台座を含め10mはありそうです。
太刀に手を置く立像で、威風堂々とした趣です。
立像

事業は、三年ががりで、完成は、1942年(昭和17年)です。
当時は、時節がら、銅が使えず、セメントで作られました。
力強い作品は、日本は、太平洋戦争になだれ込む背景を象徴しているよにも思えます。
時節の節目に、注目される『吉田松陰』でした。

吉田松陰が黒船に向かって伝馬船をこぎ出した『弁天島』には・・・ 3月25日

京都や奈良、鎌倉の寺院や仏閣を訪ねることは、日本の歴史を知るうえでは、とても大事なことだと思います。
また、教育旅行の地としても一般的です。

ただ、下田も幕末の歴史に大きな足跡を残した町です。
ペリーやハリス、吉田松陰、唐人お吉など幕末を生きた4人は、特に開国の日本に影響を与えた人たちです。
ぜひ、下田にも子供から大人まで、歴史ファンならずも沢山の人に来てもらい、開国の歴史をたどってほしいものです。
弁天島からホテル

ホテルから『松陰の小径』を歩き7〜8分で弁天島に行くことができます。松陰の小径

松陰と重輔の像

ここ弁天島は、松陰と弟子の金子重輔が、ペリーの黒船艦隊に向かって伝馬船をこぎ出したところです。
1854年のことです。
ここには、松陰と重輔の師弟像『踏海の朝』があります。下田市がふるさと創生基金の一部を充て1990年に建立したものです。
端正な顔立ちの好青年の松陰です。
七生説と重輔の碑

弁天島の正面には、吉田松陰七生説の碑と松陰と行動を共ににし、志破れて25歳で生涯を閉じた弟子の金子重輔を追悼した碑もあります。
窪田空穂の碑
松陰を偲んで歌を読んだ歌人『窪田空穂』の碑も・・

想像図

松陰の小径

吉田松陰
吉田松陰の黒船に乗り込み渡米を企てた計画は失敗し、自首し投獄され、のちに開放され、松下村塾で多くの弟子を育て、安政の大獄に連座して、江戸で刑死してしまうわけですが、下田には、もう一つの松陰像もあります。
それは、またこの次で。
ここ弁天島までは、ご案内の通りホテルから徒歩で7〜8分です。
せっかくですから、行って見ましょう!

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